10月のニューズレター

  先月、私たちの教会は長く教会生活を共にした二人の婦人を葬った。二人 は最期まで神を指し示して死んでいった。このような出来事に出会う時、私たちは神に感謝するとともに、自分たちの死を問わねばならなくなる「自分もあの人 たちのように最期まで神を指し示すことができるのか」と。

ある話を紹介したい。

「ス イスに一人の婦人がいた。彼女は幼い頃から神を信じる信仰を持っていたが、若い時にご主人を突然失った。それで祈ることができなくなり、教会から離れてし まった。ある日、牧師が彼女を訪問した。そして、その人に同情し、祈れない気持ちはよく分かると言って、祈ることもなく帰ってしまった。しばらくして、信 徒が彼女を訪問した。そこでも彼女は自分が祈ることはできないと訴えた。『私の愛する夫を殺してしまうような残酷な方であるならば、私はもう祈ることはで きない』と。それに対して、その信徒は激しく答えた。『神があなたを探しておられる。そのように神があなたを求めておられるのに、そんな馬鹿馬鹿しい考え を起こして祈らないなどとなぜ言うのか』そう言って、彼女と一緒に主の祈りを祈った。こうして祈りの心を回復した彼女は、教会へ戻って来ることができた」

  あなたはこの話をどう聞くだろう。私はこの話に励まされている。私自 身、最期まで神を指し示すことができるのか、自信がないからだ。だから、聖書の「自分自身が失格者にならないように」との教えにいつもドッキとする。それ でも、私の最期をきっと支えてくれるイエス・キリストと教会の仲間の祈りを思うたびに、心が軽くなる。

  話は変わるが1031日は宗教改革記念 日。今年は宗教改革500年という節目だが、あの当時マルティン・ルターをはじめとする宗教改革者 たちが血を流してまで戦ったことは、自分たちの言葉で神を賛美することを教会の人々に取り戻すことであった。そのルターなのだが、死ぬ前は自分の罪が本当 に神に赦されているのか、その不安でいっぱいだったそうだ。ここに神の前に生きた誠実さがあると思うのだが、その不安から解放してくれたのは、最期まで自 分を救ってくれるイエス・キリストと、そのキリストによって救われている罪人(神を信じていながら、神に背いている人々)の祈り、そう教会の祈りだった。 そのことを今日私たちも覚えていきたい。

 三鷹バプテスト教会牧師

 秋山献一



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